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平成12年2月。 妻が娘を連れて、家から出ていきました。
最後に言われた言葉は、
「あなたといても、家族みんなが幸せになれない」
憤りや、怒りといった感情は、不思議なくらいおきませんでした。
もちろん、私が浮気したわけではありません。
酒やギャンブルに溺れ、借金があった訳でもありません。
むしろ、毎日、一生懸命に働いていただけです。
妻と娘2人の幸せを願い、朝から晩まで必死に現場で汗を流していたつもりでした。
そう、「つもり」だったのです。
私が勝手に、思い込んでいただけなのです。
「仕事のことだけやっていれば、俺の義理は果たしているのだ。」
「妻のこと、子供のことまで、俺は考える必要も時間もないのだ。」
そんな考えが、結婚生活10年目にして、離婚を言い渡される羽目になったのです。
上の娘が8歳、下の娘が6歳の時のことです。
私は、三協ハウジング(株)で社長を務める 村本 好彦(42歳)と申します。
少しだけ、自己紹介をさせていただきます。
長野県上田市の菅平高原で、レタス農家の長男として生まれました。
長男として、当然私が農家を継ぐものと教えられて育ちました。
小学生の頃から実家を出る高校を卒業するまで、
休日や、学校から帰ってくると、農作業を手伝うことが当たり前のようになっていました。
その後、長野市にある経理の専門学校へ2年間通いました。
20歳で卒業になると、そのまま実家に戻り、本格的に農業に従事しました。
25歳の頃、友人の紹介で元妻と出会い、そのまま結婚、すぐに長女が誕生しました。
農業そのものに不満があった訳ではありません。
農家の嫁として忙しく働く妻を、もっと幸せにしたいと思い転職を決意しました。
地元で一番条件の良かった生活協同組合(コープ)に就職し、実家を出ました。
生活協同組合(コープ)に就職し一番嬉しかった事は、
収入が増えたことよりも、働く時間が減ったことです。
朝は8時半頃に出勤、毎日17時ピッタリに終了。
土曜日、日曜日はもちろんお休みです。
酒も飲まず、友人つき合いも少なかった私は、毎日仕事が終わるとすぐに帰宅。
妻や娘達と、毎日一緒に楽しく過ごしていました。
いま思えば、この頃が一番幸せだったと思います。
上の娘が5歳になる頃、私が30歳を向かえたときです。
もっと家族を楽にしてあげたいと思い、より多く稼げる建築業界に飛び込みました。
30歳にして飛込んだ建築の世界。
何もわからないことだらけの状態で、早朝から夜遅くまで、とにかく夢中で働きました。
日曜日も一人出社し、その週にわからなかったことを一生懸命勉強しました。
妻や娘達の起きている時間に帰れることは、ほとんどなくなりました。
運動会や、日曜参観にも参加した記憶がありません。
この頃から、いつも一緒だった家族の関係が、少しずつ狂いはじめました。
34歳になり、ようやく日曜日は休みが取れるくらい、仕事が出来るようになりました。
しかし、その頃には家庭に私の居場所はなく、家族ともほとんど会話がなくなりました。
私には、一体どうしたらいいのか。 ただ途方に暮れるばかりでした。
そんな状態が1年続いた頃です。 妻から離婚を切り出されたのは。
思えば、子供の頃から私は自分の意見を言うことが苦手でした。
ただ、両親に喜んでほしかった。
自分の意見を言うことで、相手を悲しませたくなかった。
そんな想いで、妻を、家族を大切にしていたはずが、
逆に、寂しい思いをさせてしまったのです。
あまりの不甲斐なさに、しばらく何もする気がなくなりました。
家族という心の支えを失い、働く目的を失った私は仕事に身が入らなくなりました。
ただ、抜け殻のように目の前の仕事をこなすだけの毎日でした。
そんな状態で3ヶ月が過ぎた頃、勤めていた会社の社長から言われました。
「どんなことがあっても、絶対クサルな!」
「いつまでも、子供に恥ずかしくない父親でいろ!」
この言葉で、もう一度がんばってみようと思うようになりました。
その後、一緒に働いていた仲間から誘われて、独立することになりました。
勤めていた会社の社長から、
子供のためにも、もう一度がんばってみろと後押しされたことが決め手になりました。
特に趣味が無かった私は、ますます仕事に打ち込むようになっていました。
ひとりになった寂しさを紛らわせるため、
独立後は、日曜日も休むことなく、がむしゃらに働きました。
3年目にようやく軌道に乗り始めました。
全て友人、知人の方からの紹介や口コミでしたが、
それでも安定して生活できるようになりました。
おかげ様で、借金をすることも無く、
同世代のお勤めの方々と、同じくらいの収入を手にすることができました。
4年目のある日、知人の紹介で、軽井沢にあるホテルの社長さんと知り合いました。
「野菜は、提携農家と種蒔きの段階から相談して作ってもらっている。」
「シェフ自ら、他のスタッフと一緒になって自家菜園やハーブ園を耕している。」
「化学調味料を使わないことは当然で、精製した砂糖(白砂糖)は使わないと決めている。」
感心していたら、最後に社長さんが言いました。
「でも、お客様にはそんなコト、関係ないんです。
無農薬で育てていても、葉っぱに虫食いがあればクレームになる。
調味料や砂糖にこだわっていても、おいしくなければ二度と来ないのです。」
「軽井沢を愛しているお客様に、心から喜んでいただきたい。」
「そのために、自分達ができることをしているだけです。」
その日から、ずっと考えるようになりました。
「私には他人に話せるこだわりや考えが、あるのだろうか?」
「私は一体、誰に喜んでもらいたいのだろう?」
「誰に、喜んでもらいたい・・・?」
実は私、営業をしていて一番嬉しいことは、契約が取れることではないのです。
新築やリフォームといった、人生で1~2回の大きなお買い物の場合、
ご夫婦おふたりと一緒に、お打ち合わせさせていただきます。
このお打ち合わせが、私にとっては一番楽しい時間なのです。これまでキチンと話したことはないけど、相手はわかってくれているハズ。
と、ご夫婦がお互いに思い込んでいることが、ナント多いことか。
間取りプランや、普段の家での過ごし方を伺っていると、
おふたりから、「えっ、そうなの?」「ホントは嫌だったの?」「これが良かったの?」
という話が、いっぱい出てくるのです。
これまで家事を一切手伝わなかった夫。
家を新築して、少し大きめの対面式キッチンにしたら、
気がついたら、一緒に料理を手伝ってくれるようになりました。
つまり、会話が増えるのです。
こんな場面を見たり、伺ったりすると、
家を建てる仕事をしていて良かったな、と心から思えるのです。
失敗した私だからこそ、あなたに言いたい。
「家を建てる」ことで、ご夫婦おふたりがもっと仲良くなって欲しい。
感謝の気持ち、思いやりの気持ちを、照れずに言葉で表現して欲しい。
あなたに、お見せしたいものがあります
軽井沢に、私の想いを詰め込んだオープンハウスが誕生しました。
今現在、私ができる全ての技術と知恵を、カタチにしています。
ぜひ、あなたの目で確かめていただきたいと思います。
「家( 別荘 )を建てる」ことで、ご夫婦おふたりがもっと仲良くなって欲しい。
それが、私の心からの願いです。
最後まで私の拙い文章を読んでいただき、本当にありがとうございます。
軽井沢で、あなたとお会いできることを楽しみにしております。
代表 村本好彦
ご存知ですか、平成15年7月の建築基準法改正で、住宅にも、
シックハウス対策のための機械換気システムの設置が義務付けられたことを。
現在の住宅は、家の中の機密性を上げるため、
接着剤やコーキング材などの化学系物質で隙間をピッタリ埋めています。
その結果、その化学系物質から揮発される有毒物質を排除する必要があるため、
換気扇を回し続けなければならないのです。
何か、おかしいと思いませんか!?
住宅業界にとってシックハウスの問題は、今後ますます大きくなってくるハズです。
今回、だれもが避けて通ってしまうこの問題に、真正面から挑んでいます。
8割以上は、解決できていると自負しています。
ですが一部、法規制やコスト面から、苦渋の決断を迫られた箇所があります。
ぜひ、あなたのその目で確かめてみてください。
オープンハウスになっているので、ご予約いただければご案内いたします。
私たちは、ウソをつきません。
できないこと、現状では無理なことは、正直に説明させていただきます。
軽井沢で、あなたとお会いできることを楽しみにしております。